証明写真機の忍びの技術は大したものだ。通勤通学、毎日通る風景に溶け込み、いざ必要としたその時に忽然と姿を消す。
少し前に証明写真が必要となったけれど、どこに写真機があったか思い出せず、仕方なく札幌駅の家電量販店で撮影した。
それにしても、証明写真機の中は蒸し返っている。風通しが悪いせいだ。
何度か撮り直しているうちに汗がじんわりにじんでくる。結局1回目に撮った方を選んで出たら、待っている人達が2組いた。20年前のプリクラ台かよ。彼らもまた、雲隠れの術に翻弄された輩だろうか。
その帰り、最寄り駅の改札を出たところで証明写真機を発見した。行きの時は確実にいなかった。
てんで前しか見えていない。
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今の時代、大学生の就職活動は大学4年生の春から企業エントリーが始まりますが、
私の時代は大学3年生の秋から始まっていて、私も周りの雰囲気に押され、就活サイトへの登録、合同企業説明会に参加など、教科書どおりの就職活動を行なっていました。
道外の大学に通う私は、地元の札幌で就職を志望(いわゆるUターン就職)。
企業説明会への参加や面接を受けるにしても、
当時は今のような格安航空会社なんてものはなく往復およそ5万円の飛行機代がかかること、
なるべく授業を休まないことなどを考慮すると、あまり数多く応募することは出来ません。
私は札幌市内に本社を構える1つの企業に狙いを定めました。
いくらなんでも1つきりだなんて、向こう見ずだと感じるかもしれませんが、筆記試験も面接試験も冴え渡り、「落とす気がしねえ」そんな心持ちだったのです。
私の予感はピシャリでした。
大学4年の6月、倍率150倍の関門をかいくぐり見事内定を獲得。
後は着々と卒論を進めつつ遊んで卒業を待つだけ。就活を終えた後の大学生は無敵。圧倒的無敵。
しかし卒業間近の大学4年の2月に突如スーツ姿のギター侍が現れました。
(ジャジャジャジャ ジャジャジャジャ ジャジャジャジャ ジャジャジャジャ…♪)
「私、常ぉー務取締役♪
さ・いきぃーんリーマンショックが起きたって……言うじゃなぁっい?」
(ジャーン♪)
「あなたの内定、取り消しますからぁぁぁ〜っ!残っっっ念!」
まさかの内定…切りっ…!!
つうこんのいちげきを食らって瀕死の帰り道、私は駅前通りの人目をはばからずワンワン泣き、
その晩から40度近い熱を出して寝込み、
おかげで大学の集大成である卒論発表会を欠席する羽目になりました(切腹!ジャーン♪)
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体調回復後、私は一度も利用しなかった大学の就職支援部に呼ばれました。どうやら内定取消しのことを新聞に載せるための取材のようでした。
あれやこれやと聞かれた挙句最後には「困ったことがあったら相談して」とのこと。
なんだそれ。
相談したら仕事紹介してくれるのかよ。
面談するなら職をくれ。
面談するなら、職をくれっ!!
職なき子。就職支援部はダメだ。
ここはやっぱりゼミの教授に相談しよう。1年半、私を育ててくれた恩師。研究に行き詰まった時はいつも飛び抜けた発想で私を導いてくれました。
先生、私これからどうすればいいんでしょう…!
「留学したらいいんじゃない?カナダはいいよ〜(^ω^)」
どっしぇ〜
あられもない方向から切り込んできました。
なにその発想。そんなの想定外だよ。
いや、まてよ。
私は心理学専攻。つまりゼミの教授は心理学のプロ。
その道のプロの助言なんだから…もしかしたら何かしらの意図があるのかもしれない。
1番 マジデガクシャメザセ
君は頭脳明晰、成績優秀なので留学して見地を広げ、学者を目指してほしい(単勝8.0倍)
2番 キブンテンカン
今の君はショックのあまり周りが見えていないので、海外でも行って気晴らししてみたら?(単勝3.7倍)
3 タダウカレテール(単勝1.2倍)
ちょうどカナダの学会から帰ってきたばかりだったので浮かれてる
教授何考えてるんだステークス、勝つのは3番だ。3番に決まってる。
まあでも、卒業まで2ヶ月切ってるし、新卒で就職なんてどうせ間に合わない。だったら留学も悪くないかもしれないな…。
そんななか内定先だった会社から連絡があり、新卒枠で入社できる会社を紹介してくれるとのことでした。
私は迷わず、就職の道を選びました。
しかし今思うと、教授の意図は
4番 ドアインザフェイス
最初に実現が難しい提案をして断らせ、その後小さな提案をして受け入れてもらう心理テクニック
だったんじゃないかと思います。
つまり留学という突き抜けた提案をして断らせ、結局は地道な就職活動を勧めたかったのでは…?
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紹介された会社は札幌では有名な老舗企業。
私は体裁という名の社長面接を受け、お情けという名の採用を獲得しました。
そして4月から正社員として入社する約1週間、アルバイトとして働くことになったのですが、
そのアルバイトのたった1週間、私は持ちこたえられませんでした。
教育係1人以外総スカン。なにこれメジャーリーグ流の出迎え方ですか?それならもういいだろ、ヘイヘイヘーイ…。
残念なことに、入社後もこの職場で数年間働くことが決まっていました。
私へのシカトを指揮するボスザル。一方でコザル達も陰でボスザルの悪口を言っていました。希薄な人間関係。上司は見て見ぬふり。
。。。
風通しが悪いのは証明写真機の中だけで十分だ
(全然うまくないしそのドヤ顔やめろ)
今となっては、突然どこぞの小娘が契約社員飛び越えて正社員で入社してきたら妬みもするわ、と冷静に思えるのですが、冷静になってももうあの職場で働きたいとは思いません。
アルバイトから帰るとヘトヘトだったけれど、
家族には心配かけたくなく「忙しかった」「疲れた」とだけ言うと、
家族からは当然のように「最初はそんなもんだから頑張りなさい」と声をかけられました。
私が総スカンくらっているなんて言えない、ましてや辞めたいなんて言えない。私は部屋でシクシク泣きました。
ニートの淵に天から舞い降りた蜘蛛の糸。手放すわけにはいきません。
辞めたい…
いや、辞められない…しっかり働かなければ…親孝行しなければ…
誰にも相談できず、辞めるか、それとも辞めるか←辞める気まんまんやないかーい(ワイングラスをチンと鳴らす)
ズルズルと迷い続けました。
そして迎えた4月1日の入社式の日。
私は決断しました。
辞めよう。
今日言おう。
しかし、その日は入社式、会食、事務手続き…という流れるようなスケジュールで言い出すタイミングがなかなかなく、
日が暮れ、「さあ、明日からみなさん頑張りましょう!」と檄を飛ばされ皆が解散した後、私はようやく時の常務に辞退を申し入れたのでした。
私は人間関係でうまくやれていないことを伝えると、常務はとても親身になって私の話を聴いてくださいました。
どうせ、今日が最後だ。
最後の悪あがきにボスザルのことを告げ口してやろう…。
……。
無念なり、私は1週間職場を共にしたボスザルの名前を知りませんでした。
常務、いや今は社長。
面接の時から最後までご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。
同期のみんな。優しく迎えてくれてありがとう。
教育係の先輩。あなただけが支えでした。感謝しています。
ボスザルめ。覚えてないけど覚えてろ。
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帰宅後、私は仕事を辞めたことを家族に伝えました。
沈黙の食卓。
姉が口を開きました。
「仕事辞めたの?なんで?」
「…。」
「せっかく決まったのに、勿体ない!」
「…なにさ!あんただって仕事辞めたじゃんか!あんたなんかには分かんないよ!!!」
バンッ!
箸を投げつけ、二階の自室に飛び込みました。
残された私は黙々と残ったごはんをたいらげてから自室にこもりました。わんわん泣きました。
姉とは普段から仲が良く、あんなちびまる子ちゃんみたいなきょうだい喧嘩は後にも先にもありません。
さて、またしても私は職を失ったわけですが、
幸いなことに「一度就職がおじゃんになった耐性」がついていたおかげでもう高熱は出ませんでした。
むしろ、ひとしきり泣いたら
「あのサルどものせいで腐ってたまるか」とみるみる闘志が湧いてきました。
もう職場に戻ることはない。
しかしあのサルどもをなんとかギャフンと言わせたい。
どうしたものか。
そうか、サルどもより優位な仕事に就けばいいのか。
そうだ、公務員になろう。
その日2回目の決断でした。
すぐさま私はベッドから起き上がりパソコンをつけ公務員の募集要項を調べました。
来年度採用の応募締め切りは…まだ間に合う!
試験は…あと2ヶ月!間に合うか…?
いや間に合わせる!
念のため書いておきますが、
公務員試験は「そうだ京都行こう」みたいなノリで受けるものではなく、一般的には大学で講座を受けたり予備校に通ったりなどしっかり勉強して受けるものです。
しかし私には時間がありませんでした。
ーこういう展開でこそオレは燃える奴だったはずだ…!!
私の中の三井寿が声をあげました。
そのまま私は公務員試験の傾向と対策を練り、
翌日、自転車を漕ぎ漕ぎ古本屋へ。問題集や参考書を買い込み、その日から独学で試験勉強を始めました。
食事と睡眠以外のおよそ14時間は勉強に充てる毎日。私を駆り立てる動機はただ一つ、サルどもを黙らせること。
待ってろよサルども…
(あれ、親孝行は…?)
勉強を始めて1ヶ月経ち、自分の実力を試すため公務員予備校主催の模試を受験しました。
教室にはその予備校の生徒達ばかりで完全なるアウェーでしたが、
幸いなことに、私は総スカン耐性もついていたので実力を十分に発揮することができ、170人中7位という奇跡的な結果を残しました。
筆記試験の次は面接試験がありますが、
倍率150倍から採用された実績もあって、私は面接試験には絶対の自信がありました。
筆記試験にさえ通れば、合格できる…!
このまま頑張れば、受かるかもしれない…!
しかし、この淡い期待が後で大きな事件を引き起こすことになるのです。
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公務員といえども色々な種類があります。
この日は法務教官の筆記試験日でした。
法務教官とは、少年院などに配属され非行を犯した少年少女が更生するよう教育や訓練、助言を行う国家公務員です。
試験会場は刑務所の中にある体育室。
その日の札幌は随分と寒く、試験会場もキンキンに冷え込んでいます。
私はそれに少々の自信からくる緊張が加わり、試験中お腹が痛くなりました。
これはGP。くだすやつだ…。
私の中でF1GPが開幕しました。
痛みは周期的にやってくる。トイレにかける時間的余裕は無い。でも痛みによって問題に集中できない事態は絶対に避けたい。
つまりトイレチャンスは1回。その1回で全てを出し切る…!
あと1周。
次の波で私のお腹はパンクする。そう感じた私は試験官に向かって挙手しました。
「トイレがしたいです…」
試験官は不正のないよう身辺チェックし、私をトイレまで連れてきたのですが、
トイレは試験会場の後方、なんと体育室の中にありました。
ここでお聞きください。
ジョンレノンで「imagine」。
想像してごらん
シーンと静まり返った試験会場を
想像してごらん
会場内にあるトイレの出入口に立ちながら私の動向を見張る試験官を
(受刑者ってこんな感じなのかな…。)
大便に関しては、このブログでも音漏れ問題や駆け込み寺など様々論じてきて分かるように、私はその道の通(つう)でございます。
あたかも小であるように、素早く。
水を流す音に合わせて。
ガチャガチャッ
ブロロッブボボボボ!
カレーなるピットイン作業が炸裂し、私は何食わぬ顔で席に戻りました。
さて、大分失礼こかせていただきましたが、筆記試験は無事合格し、次なるは面接試験です。
やはり刑務所で行われました。
面接に定評のある私でしたが、面接官3人が揃いも揃って皆声が大きくて、刑務官のような佇まいに圧倒された私は、
「受験番号◯◯番!失礼します!」
まるで受刑者のように声を張り上げていました。
そんな模範囚のような姿が功を奏したのか分かりませんが、見事私は法務教官の採用試験に合格したのでした。
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こうして私は国家公務員としての道を切り拓いたのですが、結局私はその道を選ばず、その年の10月に普通に就職しました。
もう少しで10年が経ちますが、こんなに長く続けられたのは、人間関係の良さに尽きます。
問題が起きたら、皆が一旦手をとめて考える。意見を言う。上司がまとめる。とても風通しがいい職場です。
そういえば、その10年のうちに、内定切りをした会社と共に仕事をする機会がありました。世間は狭いものですね。
その時言えなかった言葉を、月間PV数1000のブログにのせて(世間は狭いものですから)。
常務へ
あの時紹介してくださった恩義に報いず申し訳ございませんでした。このとおり、私は元気にやれています。
こうして振り返ると、内定切りの後は決断の連続でしたが、今はけっこう幸せです。
もしあの時留学していたらノーベル賞を受賞していたかもしれないと思うとちょっとだけ悔しいけれど。
てんで前しか見えていません。
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